自分が作った資料を、上司が会議で説明している。
それ自体は、仕事だから別にいい。
上司が代表して話すこともあるし、チームの資料として扱われることもある。
でも、聞いているうちに、少しだけ引っかかることがある。
「私の方でまとめました」
「ここは私が整理しておきました」
「この資料を見ると分かると思います」
そんなふうに話している。
あれ。
それ、私が作った資料なんだけどな。
そう思っても、その場で言えるわけではない。
「それ私が作りました」なんて言ったら、空気が変になる。
だから黙っている。
でも内心では、かなりモヤモヤしている。
手柄がほしいわけじゃない
別に、大きく褒めてほしいわけではない。
みんなの前で「この資料は〇〇さんが作りました」と言ってほしいだけでもない。
ただ、自分がやったことが、なかったことになる感じがつらい。
時間をかけて作った。
細かいところを直した。
見やすいように整えた。
数字や表現も確認した。
その作業が全部、上司の言葉ひとつで、上司の成果みたいに見えてしまう。
手柄がほしいというより、自分の仕事が透明になっていく感じがする。
悔しいのは、褒められなかったことではない。
自分がそこにいたことごと、消えていくような感じがすることだ。
そこが、静かにしんどい。
「上司の資料」になっていく
資料を作るときは、自分なりに考えている。
この順番の方が分かりやすいかな。
ここは表にした方がいいかな。
この言い方だと誤解されないかな。
小さな工夫を入れながら作っている。
でも完成した資料を上司に渡した瞬間、それがいつの間にか「上司の資料」になっていくことがある。
もちろん、最終確認をしたのは上司かもしれない。
上司の判断で出す資料なのかもしれない。
でも、全部を自分の手柄みたいに話されると、こちらの作業はどこに行ったんだろうと思ってしまう。
自分はただの作業係だったのかな。
そんなふうに感じる日がある。
直接言えないから、余計に残る
こういうモヤモヤは、直接言いにくい。
「私の手柄も認めてください」とは言いづらい。
言ったら、面倒な人だと思われるかもしれない。
評価を気にしすぎているように見えるかもしれない。
上司との関係が悪くなるかもしれない。
そう考えると、結局何も言えない。
でも、言えなかった分だけ、心の中には残っていく。
会議が終わったあとも、帰り道でも、ふとしたときに思い出す。
あの資料、私が作ったのにな。
小さな一言なのに、意外と長く残ることがある。
評価されたい気持ちは、悪いことじゃない
仕事をしている以上、自分の頑張りを少しは見てほしい。
そう思うのは、別に悪いことではない。
「誰にも気づかれなくていい」「何も評価されなくていい」と、最初からそう思える人ばかりではない。
頑張ったことを、ちゃんと分かってほしい。
自分が関わったことを、少しでいいから覚えていてほしい。
そう思うのは自然なことだ。
それなのに、上司が全部自分の成果みたいに話していると、自分の存在ごと薄くなったような気がする。
そこに傷つくのは、おかしいことではない。
自分のやったことを、少しだけ残しておく
こういうとき、大きく争うのは難しいことが多い。
だからせめて、自分がやったことを、記録の形で残しておくのも大事かもしれない。
たとえば、資料を送るときに、
「資料を作成しましたので、ご確認お願いします」
「ご指摘いただいた部分を修正しました」
「〇〇の表を追加しています」
こんなふうに、自分が何をしたのかを文章に残しておく。
上司に提出するときも、ただ渡すだけではなく、「この部分を整理しました」「ここは見やすいように表にしました」とひと言添える。
これは、上司に張り合うためではない。
あとから自分が、「ちゃんとやった」と思い出せるようにするためだ。
それだけでも、自分の中で少し違うことがある。
黙っているのは、納得しているからじゃない
職場では、自分の仕事が誰かの名前で出ていくことがある。
それが普通の場面もある。
チームの仕事として扱われることもある。
でも、毎回のように自分の作業が見えなくなると、やっぱり疲れていく。
黙っているから、平気なわけではない。
何も言わないから、納得しているわけでもない。
ただ、職場の空気を壊さないように、飲み込んでいるだけのこともある。
だから、自分が作った資料を上司の手柄みたいに話されてモヤモヤする日は、自分の心が狭いからではない。
ちゃんとやったことを、ちゃんと見てほしかった。
ただ、それだけなのだと思う。