職場で、誰かが怒られている声が聞こえることがある。
自分に向けられた言葉ではない。
自分がミスをしたわけでもない。
それなのに、その声が聞こえた瞬間、
胸のあたりがきゅっと重くなる。
さっきまで普通に仕事をしていたのに、一気に空気が変わる。
キーボードを打つ音が小さくなる。
誰も話さなくなる。
みんなが聞こえないふりをする。
でも、本当は聞こえている。
怒られている人の苦しさ、怒っている人の声、その場の空気も、
自分のことではないのに、なぜか自分まで苦しくなる。
怒られている声は、周りにも残る
怒っている側は、その人に向けて言っているつもりかもしれない。
でも、職場で大きな声を出されると、その場にいる人みんなに届いてしまう。
言われている人の表情。
声の圧。
沈黙の長さ。
周りの息を呑む感じ。
そういうものが、心の中に積もっていく。
「今日は話しかけないほうがいいな」
「次は自分かもしれない」
そんなことまで考えてしまう。
怒られたのは一人でも、その声は、周りの心の中に残る。
聞こえないふりをするのも、疲れる
こういうとき、周りの人はだいたい静かになる。
顔を見ない。
音を立てない。
何も聞こえていないみたいに仕事を続ける。
でも実際は、みんな気づいている。
声のトーンが変わったことも、空気がきつくなっていることも、
怒られている人が辛そうなことも。
それでも、聞こえないふりをする。
割り込むこともできないし、
普通に振る舞うのも難しいから。
画面を見ているふりをする。
作業に集中しているふりをする。
でも頭の中は、ずっとその声を追っている。
資料を読んでいても、内容が入ってこない。
メールを書いていても、文章がまとまらない。
自分が怒られているわけではないのに、
その場にいるだけで体が固くなる。
何もしていないのに、それだけで消耗してしまう。
きつい言い方は、見ている人も萎縮させる
注意することは、仕方ない場面もある。
ミスがあれば、確認しなければいけないこともある。
仕事だから、言わなければいけないこともある。
でも、言い方がきつすぎると、
本人だけでなく、周りの人まで小さくなっていく。
「あんなふうに言われるくらいなら、余計なことは言わないでおこう」
「失敗しないように、黙っておこう」
そんな空気になっていく。
質問がしにくくなる。
確認を取るのが怖くなる。
報告するのも、一瞬ためらうようになる。
怒られたのは一人でも、
その影響は、じわじわと職場全体に広がっていくことがある。
苦しくなるのは、気にしすぎだからじゃない
誰かが怒られている声を聞いて、自分まで苦しくなる。
それは、気にしすぎだからではない。
人の声の強さや、場の空気の変化を、
自分のことのように受け取ってしまう人がいる。
怒られている人の気持ちを想像して、
気が重くなることもある。
そういうことが、ただ「職場にいる」だけで、
かなりしんどい状況になることがある。
だから、「聞こえないふりも苦しい」と感じることを、
おかしいと思わなくていい。
聞こえてしまったものに、心が反応してしまうのは、
それだけ、職場の空気というのは人に影響を与えるものだということだと思う。
自分まで、全部背負わなくていい
誰かが怒られているのを見て、自分まで落ち込んでしまうことがある。
相手を心配する気持ちは自然だ。
けれど、その場の空気をぜんぶ引き受けようとすると、
自分まで限界になってしまう。
できることがあるとすれば、
少しだけ、自分の体を動かすことだと思う。
深呼吸する。
水を飲む。
一度席を立つ。
手元の作業だけに集中する。
それくらいでいい。
その場を変えられなくても、
自分だけでも、少し受け流せるようにしておく。
それも、自分を守るためには必要なことだと思う。