朝礼で社訓を読む会社、まだあるんだよなぁ

朝、始業前に整列する。
いつもの場所に立って、いつもの順番で並ぶ。
そして、社訓を読む。

「一、お客様のために。一、誠実に。一、チームワークを……」

声を揃えて読む。
毎朝のことなので、もう口が勝手に動く。

読みながら、ふと気づくことがあります。
今、自分は何も考えていないな、と。

言葉は出ている。
その意味をちゃんと受け取っているかというと、
そうではない、と思う。

ただ、いつもの朝礼として読んでいる。


こういう朝礼は、今でもわりと普通にあります。
製造業。介護。小売。飲食。

職場によって形は違っても、社訓や理念を声に出して読む時間がある。

昔からそうだったから。
創業者が理念を大事にしていたから。

理由は、きっとあるのだと思います。
毎朝やっているうちに、その理由を考えることもなくなっていく。

今日も読んで、席に戻って、仕事を始める。
そういう朝が続いています。

意味があるのか、と思ったことはある

社訓を読むことに、意味がないとまでは言い切れません。

会社の考え方を共有する。
同じ方向を見る。
仕事への姿勢を確認する。

そういう目的があるのだと思います。

正直なところ、毎朝声に出して読むことで何かが変わっている実感はあまりない。

読んだからといって、急に気持ちが整うわけでもない。
読まなかった日と、読んだ日で、自分の行動が大きく変わるわけでもない。

それでも続いている。

「これ、意味あるのかな」

そう思ったことは、一度はあると思います。
言い出せないまま、心の中で思うだけで終わります。

みんな普通にやっているから。
ベテランの人も当たり前に声を出しているから。
今さら自分が疑問を出すほどのことでもない気がするから。

誰かが始めて、誰も終わらせなかっただけかもしれない

こういう習慣は、最初はちゃんと意味があったのだと思います。

会社が小さかったころ。
みんなで同じ方向を向こうとしていたころ。

その時代には、必要なものだったのかもしれない。

時間が経って、人が入れ替わって、働き方も変わって。
それでも、朝礼だけは残っている。

誰かが始めて、誰も終わらせなかった。
やめるきっかけもなく、変えるほどのことでもなく、昔からそうしているから今もそうしている。

そうやって、職場の習慣は残っていくことがあります。

当たり前にやっている自分に、気づく

最初のころは、少し違和感があったはずです。

みんなで声を揃えること。
社訓を読むこと。
決まった言葉を毎朝繰り返すこと。

毎日続けていると、だんだん慣れていく。

気づけば自分も、当たり前にやっている人になっている。

違和感がなくなったというより、違和感を考えないようになっただけかもしれない。

声を出して、読み終わって、何事もなかったように仕事に戻る。
それを毎朝繰り返している。

大きな苦痛ではない。
でも、小さな違和感を飲み込み続けている感じがある。
その小ささが、かえって人に言いづらい。

社訓が嫌いなわけではない。でも、冷める瞬間がある

別に、社訓そのものが嫌いなわけではありません。
書いてあることは、正しいと思う。

大切なことだからこそ、毎朝ただ読み上げるだけになっていることに、引っかかるのかもしれません。

本当に大事なら、声に出すだけでなく、日々の働き方の中で感じたい。

現実には、社訓を読んだあとで、急かされて、気を使って、また一日が始まる。

その落差に、静かに冷めてしまうことがあります。

やめてくださいとは言えない。
波風を立てるほどのことでもない。
そういう種類のしんどさがあります。

今日も読んで、仕事が始まる

今日も朝礼がある。
いつもの場所に並ぶ。
いつものように社訓を読む。

声は出ている。
心は、少し遠い。

読み終わったら、席に戻る。
パソコンを開いて、その日の仕事を始める。

たぶん明日も同じです。

毎朝声に出している言葉と、自分の気持ちが少しずつ離れていく。

その感じが、なんとなくしんどい。

そういう朝が、職場にはまだあるのだと思います。

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この記事を書いた人

はじめまして。

このサイトを書いている、だいふくです。

昔から、
人間関係で気を使いすぎるタイプでした。

怒られているわけじゃない。

でも疲れる。

そんな“静かなストレス”を、
ずっと感じながら働いてきました。

このサイトでは、

・職場の空気がしんどい
・人間関係に疲れる
・気を使いすぎて消耗する

そんな悩みについて、
共感ベースで書いています。

「分かる…」

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