コピー用紙が切れそう。
共有スペースのゴミがいっぱい。
備品の残りが少ない。
机の上に、誰のものか分からない書類が置きっぱなし。
みんな同じ場所にいるのに、気づく人と、気づかない人がいる。
そして、気づいた人が動く。
最初は、そこまで気にならない。
「ついでだからやっておこう」
「気づいたし、まあいいか」
そのくらいの気持ちで動ける。
でも、それが何度も続くと、だんだん疲れてくる。
気づいた人だけが動いて、気づいた人だけが消耗していく。
その感じが、地味につらい。
「気づいたし、ついでに」が積もっていく
気づいたときに、つい動いてしまうことがある。
コピー用紙を補充する。
ゴミをまとめる。
共有スペースを少し整える。
誰かが使ったままのものを戻す。
ひとつひとつは、大きな仕事ではない。
だからこそ、わざわざ誰かに言うほどでもない気がする。
でも、その「ちょっとしたこと」が積もっていく。
気づくたびに手を止める。
自分の作業を中断する。
誰にも頼まれていないのに、整える。
そのたびに、少しずつ疲れていく。
やる人が、いつの間にか固定されていく
こういう小さなことは、放っておけない人がだいたい決まっていく。
気づく人。
気になる人。
放っておけない人。
そういう人が、いつも動く。
一方で、
気づいても動かない人。
そもそも気にしていない人。
「誰かがやるでしょ」と思っている人。
そういう人は、そのままだ。
そのうち、周りもなんとなく「あの人がやってくれる」という空気になっていく。
頼まれたわけではないのに、いつの間にか自分の役割みたいになる。
それが、しんどい。
やっても、あまり見てもらえない
厄介なのは、こういうことをやっても、あまり評価されないことだ。
コピー用紙がある。
ゴミ箱があふれていない。
備品がちゃんと置いてある。
それは、誰かが動いたからかもしれない。
でも職場では、整っている状態は「当たり前」に見えやすい。
だから、誰がやったのかまでは見えない。
一度そうなると、「あの人がやる人」という空気だけが残っていく。
やっても目立たない。
でも、やらないと困る。
だからまた動いてしまう。
気づく人ほど、疲れやすい
放っておけない人は、周りへの意識が高いのだと思う。
これを放っておいたら誰かが困る。
次に使う人が不便かもしれない。
このままだと、あとで面倒になりそう。
そんなふうに、少し先のことまで見えてしまう。
だから動く。
でも、気づかない人には、そもそもその景色が見えていないことがある。
悪気があるわけではないのかもしれない。
本当に見えていないだけかもしれない。
それでも、見えている人と、見えていない人が同じ場所にいると、見えている人だけが動くことになりやすい。
そこに、小さな不公平が生まれる。
やさしさの問題のように見えて、本当はそれだけではないのだと思う。
「自分ばかり」と思う日もある
「なんで自分ばかりやっているんだろう」
そう思う日がある。
でも、そう思ったあとで、少しだけ自分を責めてしまうこともある。
別に大したことじゃないのに。
これくらいでイライラするなんて。
心が狭いのかな。
そんなふうに考えてしまう。
でも、たぶん問題は、ひとつひとつの作業の大きさではない。
小さなことが、毎日の中で何度も自分に寄ってくること。
誰にも気づかれないまま、自分だけが少しずつ削られていくこと。
そこがつらいのだと思う。
それは、心が狭いからではない。
全部を拾わなくてもいい
放っておけない人ほど、そのままにしておくのが苦手だ。
でも、全部を拾っていると、本当に疲れてしまう。
だから、たまには「今日はやらない」と決めてもいいのだと思う。
すぐに困ることだけやる。
自分の仕事を止めてまでやらない。
何度も続くことは、ひとりで抱えずに言葉にする。
たとえば、
「コピー用紙、少なくなっているので気づいた人で補充できると助かります」
そのくらいの言い方でもいい。
責めるためではなく、自分だけの役割にしないために。
気づけることは、悪いことではない
気づいてしまうことは、悪いことではない。
むしろ、職場はそういう人に、かなり助けられている。
でも、気づける人がいつも黙って引き受け続ける必要はない。
気づいた人だけが動く。
気づいた人だけが疲れる。
気づいた人だけが、少しずつしんどくなる。
それは、誰かが背負わなければいけないものではないと思う。
だから、全部をひとりで背負わなくていい。