職場の人間関係で疲れるのは、分かりやすい対立だけではない。
むしろ、静かな派閥のようなものの方が、気を使うことがある。
AさんとBさんが、なんとなく距離を置いている。
はっきりケンカをしているわけではない。
でも、空気が少しだけピリッとしている。
本人同士は、表向きは普通に話している。
だからこそ、余計に難しい。
どちらかの味方をしているつもりはない。
ただ普通に働いているだけ。
それなのに、誰と話すか、どこに座るか、どんな返事をするかまで気になってしまう。
どっちの味方でもないのに、気を使いすぎて疲れる。
そんな職場がある。
中立でいたいのに、勝手に立場が決まる
一番しんどいのは、自分では中立でいるつもりなのに、周りから勝手に立場を決められることだ。
誰かと普通に話していただけなのに、
「あの人と仲いいよね」
「あっち側なんだね」
そんなふうに見られることがある。
ただ仕事の話をしただけ。
たまたま近くにいただけ。
用事があったから声をかけただけ。
本当はそれだけなのに、別の意味を持たされてしまう。
そうなると、誰かと話すだけでも慎重になる。
このタイミングで話して大丈夫かな。
長く話していたら、変に思われるかな。
笑っていたら、仲間だと思われるかな。
ただ接しているだけなのに、余計なことまで考えてしまう。
休憩室や昼休みが、いちばん気を使う
こういう職場では、休憩室や昼休みの時間が一番つらいことがある。
誰の隣に座るか。
誰の近くなら自然か。
どの会話に入ればいいのか。
どこまで笑っていいのか。
ただ休むだけの時間なのに、気が抜けない。
飲み会の席でも、昼ごはんの席でも、無意識に考えてしまう。
「ここに座ったら、あの人はどう思うかな」
「こっちにいると、向こうに悪いかな」
別に何か悪いことをしているわけではない。
ただ、その場にいるだけ。
それでも気を使って、休憩したはずなのに、余計に疲れる。
私が以前いた職場にも、なんとなく距離のある先輩同士がいた。
表向きは普通。
でも、近くにいると分かる空気がある。
どちらの隣に座っても、どちらかに気を使う。
毎日、席を選ぶだけで少し疲れていた。
「誰といるか」を見られている気がする
職場の人間関係が近いほど、人そのものより、「誰といるか」を見られているような気がする。
Aさんと話したあと、Bさんに変に思われていないかな。
Bさんの愚痴を聞いたあと、Aさんに何か言われないかな。
そんなことまで考えてしまう日がある。
本当は、ただ仕事をしたいだけ。
誰かの味方になりたいわけでも、誰かを避けたいわけでもない。
でも空気を悪くしたくないから、話し方も、表情も、距離感も、少しずつ調整してしまう。
その小さな調整が、じわじわ疲れになっていく。
「つらい」と言いづらいのも、つらい
こういうしんどさは、人に説明しにくい。
いじめられているわけではない。
直接何かを言われたわけでもない。
派閥争いに巻き込まれている、とまでは言い切れない。
でも、確実に消耗している。
「職場の人間関係がつらい」と言うには、少し大げさな気もする。
「誰と誰の空気が微妙で疲れる」と言っても、伝わりにくいかもしれない。
だから結局、自分の中で抱えてしまう。
名前のつかない疲れは、誰にも分かってもらいにくい。
でも、だからこそ積もっていく。
全部をうまく立ち回らなくてもいい
職場の空気を読むことは、ある程度は必要なのかもしれない。
でも、全部を完璧に読もうとすると、自分がどんどん疲れてしまう。
誰と話すか。
どこに座るか。
どんな表情をするか。
その全部を気にしていたら、仕事をする前に消耗してしまう。
だから、少しだけ「自分は普通に接しているだけ」と思っていい。
誰かの悪口に深く乗らない。
どちらか一方の話だけを広げすぎない。
必要な仕事の話は、普通にする。
それくらいで十分な日もある。
「あっち側」と思われるかどうかは、こちらだけでは決められない部分がある。
見る人は、見たいように見ることもある。
だから、全部をうまく立ち回ろうとしなくていい。
どっちの味方でもないまま、働いていい
職場にいると、知らないうちに立場を求められることがある。
誰と仲がいいのか。
誰の考えに近いのか。
どちら側にいるのか。
でも本当は、どっちの味方でもなくていいこともある。
ただ穏やかに働いて、穏やかに一日を終えたいだけ。
それだけなのに、周りの空気まで背負わされると疲れてしまう。
中立でいることは、冷たいことではない。
誰とも深く揉めたくないと思うことも、おかしなことではない。
どっちの味方でもないまま、普通に話して、普通に働く。
それだけで、もう十分な日もあると思う。