旅行。
ライブ。
病院。
役所。
家の用事。
ちゃんと理由はある。
有給は、本来、自由に使っていい休みのはずだ。
それなのに、申請するだけで疲れることがある。
休みたい日をカレンダーで確認して、職場の予定を見て、誰かとかぶっていないか気にして、忙しい時期じゃないか考える。
上司に言うタイミングを探して、言い方を考える。
ただ休みたいだけなのに、申請するまでにいくつも越えるものがある。
休む権利はある。
頭では分かっている。
でも、いざ申請しようとすると、
「この日に休んでも大丈夫かな」
「誰かに迷惑がかからないかな」
「また休むの?と思われないかな」
そんなことを考えてしまう。
有給を取るだけなのに、まるで何か悪いことをお願いしているような気持ちになる。
理由まで、気を使ってしまう
有給を申請するとき、本当は細かい理由まで言わなくてもいいはずだ。
でも実際には、理由をどう伝えるかで悩むことがある。
「私用です」だけでいいのか。
「予定がありまして」と言えばいいのか。
もう少し具体的に言った方がいいのか。
旅行だと遊びに見えそう。
ライブだと少し言いづらい。
美容院や買い物だと、サボりみたいに思われないかな。
そんなふうに考えて、言葉を選んでしまう。
休むことそのものより、休む理由をどう見られるかに気を取られる。
有給なのに、どこか後ろめたくなってしまう。
人数が少ない職場は、さらに重い
人数が少ない職場だと、休むことの重さが変わる。
ひとり休むだけで、その日の人の回り方が変わる。
誰かの仕事が増える。
電話を取る人が減る。
確認を頼める人が少なくなる。
それが分かっているから、簡単に「休みます」と言いにくい。
本当は休んでいい日なのに、「私が休んだら大変かな」と先に考えてしまう。
休む前から、もう職場のことを考えている。
言ったあとの空気が、気になる
有給を申請したあとも、なんとなく空気を見てしまうことがある。
「この日、休みたいです」
そう言った瞬間、少し沈黙がある。
「その日かぁ」
「ちょっと人少ないんだよね」
「忙しい時期なんだよね」
そんな反応があると、一気に申し訳ない気持ちになる。
強く責められているわけではない。
それでも、その一言だけで身がすくむ。
「あ、やっぱり休まない方がよかったかな」
「別の日にした方がよかったかな」
私の場合も、休みの希望をカレンダーに書くこと自体が苦手だった。
誰かに何か言われたわけではなくても、近くにいる人の表情や、職場の空気が気になってしまう。
休む前から、もう気が休まらない。
休んだあとも、まだ気を使う
しかも、有給は取ったら終わりではないことがある。
休んだ翌日、出社したときに少し身構える。
「昨日はすみませんでした」と先に言った方がいいのかな。
休み明けなのに、どこか謝るような気持ちになる。
別に悪いことをしたわけではない。
でも、自分がいない間に誰かが対応してくれたのかもしれない。
忙しかったのかもしれない。
少し迷惑をかけたのかもしれない。
そんなふうに考えて、休んだ後まで落ち着かない。
休む前に気をつかって、休んだ後にも気をつかう。
これでは、有給なのに、本当に休めた感じがしない。
配慮と、罪悪感は違う
ここまで書いてきて、ひとつ切り分けておきたいことがある。
有給を取るときに、周りへの配慮は大事だ。
急な仕事がある日を避ける。
引き継ぎをしておく。
必要なことはメモしておく。
そういう準備ができると、自分も少し安心して休みやすくなる。
でも、配慮と罪悪感は違う。
配慮は、周りが困らないようにする行動だ。
罪悪感は、休む自分そのものを責める気持ちだ。
引き継ぎをしておくのは、配慮。
「休む私はわがままだ」と思うのは、罪悪感。
申請するだけで疲れてしまうのは、たぶん、配慮だけでなく罪悪感まで一緒に背負っているからだ。
準備はしてもいい。
でも、休む自分を責める必要はない。
そこは、切り離していい。
休む自分を、責めすぎなくていい
有給は、休むためにあるもの。
体を休める日。
用事を済ませる日。
好きなことをする日。
何もしない日。
どれも、本当はあっていい。
申請するだけで疲れてしまうのは、あなたが気にしすぎなのではなく、休みにくい空気の中で、ちゃんと配慮しながら頑張っているからだと思う。
配慮は、もう十分にしている。
だからせめて、休む自分を責める方は、少し手放していい。